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Yui-care 万亀会の看取りへの取り組み「結いけあ」

ご家族の「看取り」
大切に考えています。

私たちは「看取り」から目を背けることなく、真摯に受け止めています。
看取りへの取り組みは大切なことであり、私たちは大切な役割を担っていると考えているからです。

わたしたち万亀会では、看取りに対する取り組みを「結いけあ(ゆいけあ)」と呼んでいます

気持ちや想いをつないでいくことを「結いの心」と言います。
その言葉にちなんで、私たちの看取りへの取り組みを 「結いけあ」 と呼ぶことにしました。
看取りはご本人の旅立ちだけでなく、その想いはご家族へずっとつながるものであるべきだと私たちは考えています。

これまで歩まれてこられた旅立ちまでの人生と、ご家族に引き継がれるご本人の想いを、
私たちもその一端を担って結びつけていくことのお手伝いをしていきたいと考えており、
看取りに対する多くの取り組みを行っています。

「結いけあ」 8つの約束

  • 毎日を満足して過ごせるように支援します 看取り介護は日常生活の延長線上にあると捉えた上で、日々の日常ケアの充実を図ります。
  • 貴重な時間を大切にします その人らしい人生の最期を迎えられるよう、ご本人とご家族が残された時間をゆったりと過ごすための支援をします。
  • 妥協はいたしません 認知症で意思が伝えられない方、ご家族が遠方のため訪問してもらえない方、このほか様々な事情で施設において人生の幕を閉じようとされる方の充実した最期の日々のためにも、できる限りの支援をします。
  • ご本人、ご家族と一緒に「人生の旅立ち」に向き合います ご本人、ご家族と「死」の話題をはぐらかすことなく、共に残された時間を大切にします。
  • たくさんのお話を聞き、心に寄り添います 看取り介護計画はご本人ならびにご家族の意見や思いを含めて作ります。
  • お一人お一人に合った「結いけあ」を最期まで一緒に考えます 時間経過や症状変化に伴い、ご本人、ご家族の思いが揺れ動いた場合にも、いつでも思いを伝えられるように、ご本人、ご家族とのコミュニケーションを怠らないようにします。また「同意書」によりすでに意思が確定したものと考えないようにします。
  • 信頼する医療機関にもご協力いただいています 予測されない状態の急変などがあった場合は、医療機関に搬送することがあることを、ご本人やご家族にも伝えます。
  • ご家族のぬくもりを最期まで感じていただけるよう支援します ご家族が遠慮や気兼ねをしないで済むような配慮を行うとともに、職員もご家族ができるだけ係われるようにします。

ご本人へ

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「自然な生命の経過を尊重すること」を大切にします。
ご本人にとって最良の状態に「整え」、そして「維持」します。
無用な苦痛を与えないことをお約束いたします。

食べたいものを食べたい時に

厨房さんと連携して、その方の為だけに希望に沿って準備します。厨房さんで準備が難しい場合は、ご家族に協力頂いたり、職員が購入してお届けします。

すき焼きが食べたい!→職員が肉を購入し、厨房で調理 ラーメンが食べたい!→近所のお店のラーメンを丼に入れてテイクアウト※夜間の場合はカップ麺(意外に美味しい) アイスが食べたい!→食べやすくて、甘くて、美味しくて...看取り期には好まれる方が多いです。

他にも、高カロリージュースを凍らせてシャーベットにしたり、食せる形状に整えたお好きなものを食べて頂く事も出来ます。その方が食べる事の出来るタイミングで、ご準備させて頂いています。

最期までお風呂に入る事ができます

寝たまま入れるお風呂があるので、身体に負担なく、入浴することが出来ます。ご希望があれば、ご家族にも協力いただき、一緒にわいわいと楽しく、お風呂に入る事が可能です。出来るだけその方のタイミングに沿える様、その時に手伝える職員が集まり、看護師・介護士協力し、入浴を行ないます。瞬間瞬間を見逃しません。入浴が難しい場合は、全身清拭や、手浴、足浴対応も出来ます。入浴剤を使用したり、お好きな音楽を聴きながら入浴する事ができます。

看取り期の口腔ケア

口腔内の清潔を保てるように、口腔ケアをこまめに行います。口腔ケア用保湿ジェルやはちみつと酢なども用います。

お身体の保湿

保湿をたっぷり行ないながら、全身観察をしっかりと行ないます。そのため、殆どの方が褥瘡なく、綺麗なお肌で旅立たれます。

お部屋のこと

  • お部屋には、アロマを準備する事ができます。
  • お好きな音楽等あれば、お部屋で流して聞いて頂きます。
  • 環境を整え、日の光や外気にも配慮します。
  • お花がお好きな方には、お部屋に花を飾る事もできます。
  • 懐かしい写真やアルバムをお部屋にて見て頂ける様に飾ります。
  • 寂しくないように、お部屋にいてもリビングの声が届くよう配慮したり、体調が安定している場合は、リクライニング式の車いすに移乗して、リビングで過ごして頂く事も可能です。
  • お部屋で過ごされる際は、職員が代わる代わる訪室し、声をかけます。

ご家族へ

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ご本人の傍に居て、声をかけたり手を握ったり・・・
残り少ない時間を共に過ごせるように、お手伝いいたします。

ご家族にしか出来ないこと

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    思い出を語ること 写真などを用いたり、音楽、花、
    環境を整える事も出来ます。

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    今までの感謝の気持ちを
    伝えること
    それぞれの立場で、それぞれの
    感謝の気持ちを伝える事が大切です。

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    亡くなった後の
    ご家族の希望を伝えること
    夫婦・・・あの世での待ち合わせ場所
    子供・・・ご家族のこれから
    孫・・・将来の夢、希望

  • 点滴や、酸素投与については、ご家族の希望に応じて、主治医の指示により行います。
  • 希望があれば、ご家族にお泊りして頂く事ができます。簡易ベッドや、ポット等の貸し出し(無料)が出来ます。

グリーフケア

身近な人との死別を経験し、悲嘆に暮れるご家族が、悲しみから立ち直られるようなお手伝いをいたします。

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    心と体の変化 大切な方を亡くした後に多くの人が経験する変化をいくつかお伝えします。これらは一時的に見られる自然なものということであるということ、長く続 くようであれば専門家への相談も必要であるということをお伝えします。

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    悲しんでいるときに必要なこと 心が穏やかでない時には、当たり前のように思われることもなかなか行うのが難しいものです。私たちは、落ち着きを取り戻すきっかけになるようなヒントをお伝えさせていただきます。

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    悲しみを和らげるために
    できること
    自分の気持ちと向き合うときに、「正しい悲しみ方」というものはありません。あなたが亡くなった方への思いを持ち続け、ご自分の気持ちを少しずつ整理しようとすることが、あなたにとっての悲しみ方なのです。私たちは、ご家族ができることをお伝えさせていただきます。

  • 思い出の写真の入ったファイルを作成し、お届けいたします。

看取りを支えるための人材教育

「結いけあ」看取りを支えるための“人づくり”

「結いけあ」には、一つとして同じものはありません。だからこそ、わたしたちはお一人お一人に寄り添い、じっくり向き合って関わることを大切にしています。それはどの職員も共通で持っている想いです。
ご本人、ご家族の想いを聞き、より多くの希望をかなえられるよう、日々人材教育を行い、高め合っています。

振り返りの徹底

100人居たら、100通りの看取りがあります。それぞれの看取りには、それぞれの学びがあるはずです。 私たちは、仲間と一緒に振り返り学びを高めています。合言葉は、決してしてはいけない「懺悔(ざんげ)」「慢心(まんしん)」です。

  • 懺悔(ざんげ)... 「あれもこれもできなかった。ごめんなさい。」という前に、できることをやりましょう。
  • 慢心(まんしん)... 「あれもこれもできた。完璧!」なはずないのです。より良く!を考えていきます。
施設内研修・検討会を実施

施設内において、看取り介護に関する研修や検討会を行ったり、定期的に外部研修を受け、復命研修も行なっていきます。

  • 施設内研修「看取り介護とは」
  • 復命研修「死まで関われる高齢者の介護現場」
  • 職員への参考書籍回覧
  • 終末期ケア普及フォーラムへ参加
    〜老人福祉施設における終末期ケアに向けての取り組み実践報告〜
  • 看取りケース報告と検討会実施
  • 施設内研修「看取り期においてご家族にしか出来ない事の復習」
  • 「グリーフケア」について検討、資料作成
  • 死生観について職員へアンケートを実施
    ・・・ご利用者の世界を感じる、私達にできる事は何か考える
  • 施設内研修「遺族ケア・根拠に基づくエンゼルケア」
  • 施設内研修「エンゼルメイク~遺体美粧衛生師~」
  • 施設内研修「看取り介護研修(自然死とはを知る)」
  • 結いけあ 〜超高齢社会を支える福祉の仕事〜 法人内研修

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看取り士とは

万亀会には「看取り士」がいます

「看取り士」をご存知ですか?

人は誰しもが老い、そして必ず死を迎えます。ところが、現代社会において、日本には「老い」と「死」の教育がほとんど無いと言われており、知らないからこそ恐怖に感じたり、忌み嫌う物になってしまいました。しかし、誰にでも訪れる最期の時、温かい死を迎えるために、旅立つご本人、送るご家族の心に寄り添いながら一緒に見届けるお手伝いをいたします。
「人生を仕上げて、旅立つ先の世界は、きっと明るく良い所」そんな明るい死生観をお伝えし続けるのも我々の仕事だと考えます。

旅立ちを知るから、今の生を生きられる。看取り士 / 看護師  三木昌代

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施設で目指すのは「平穏死」です

人がこの世に生まれ、人の手を借りて大きくなったように、人がこの世を去る時にも、何かしら人の手を借りて、老いて亡くなっていくのが普通です。自分の事として「死」を考える時、ほとんどの人が「ある日突然、ぽっくり死にたい」とおっしゃいます。しかし、9割の人は無理です。何かしら人の手を借りて老いて亡くなっていきます。施設では、その「人の手」は介護職員なのです。 施設での看取りで目指すのは「平穏死」です。 「高齢者の自然な生命の営みにまかせ、その進行が邪魔される事なく達する死」これが、自然な死の姿、「平穏死」なのです。無用な苦痛を与えたり、ご本人の負担になること、不快なことは致しません。

介護にかかわるすべての人が「看取り士」

例えば、旅立ちの間際には手を握り「大丈夫ですよ」と声を掛けます。この「大丈夫ですよ」には、「そばに居るから安心してね」と「必ずお迎えが来るからね」という2つの 意味が込められています。人が必ず迎える「死」は決して恐ろしいものではない、 「死」とは次の世界へと向かう旅立ちであり、初めて経験することへの不安を取り除き、 安心して旅立っていただけるようお手伝いをするのが介護の重要な仕事です。そういった意味では、介護にかかわるすべての人が看取り士なのだと思います。

ひとつとして同じ死はありません

これまで多くの方をお見送りしてきましたが、誰一人として同じ死はなく、必ずその方らしい逝き方をされます。施設での「死」はほとんどがとても穏やかです。ご本人はもちろんご家族も悲しさの中に癒しと満足が得られていると思われます。高齢者をとりまく問題は山のようにありますが。「死を知るから、今の生を生きられる」。その思いを胸に、高齢者の日々の暮らしから最期の瞬間までを見届ける看取り士として、スタッフと共に力を合わせ、学びながら「平穏死」のお手本になりたいと思っています。

「看取り介護」の講義・講演会をいたします

地域住民の皆さん、介護福祉士養成校などの学生さんに対し、「看取り介護」の講義を行なっています。

2020年度には兵庫大学看護学部の皆さまに対して老年看護学という内容で看取りについて講義をさせていただきました。

ご参加いただいた皆さまの声 「穏やかに亡くなることができると知り、感じていたよりも死は怖くないと思いました。」 「最期とは、必ずしも悲しく苦しい瞬間とは限らず、幸せな時間であるという事を感じることが出来ました。」
「いかに生きたかを重視して生活又は援助していく必要があると思った。」

地域住民の皆さん、介護士を目指す学生さんや看護学生さんに「看取り介護」の講義を行なえますので、ご関心のある地域住民の方、教育機関の方はご連絡ください

お問合せはこちら

看取り介護の絵本ができました

『ありがとう・・・わたしはあの世へ、光の国へ』 文 みきまさよ  絵 サトゥ―芳美

こどもさんから高齢者の方まで、そして全国の介護職員さんに届けたい。
生活の場だからこそ、叶えられる「平穏死」そして、その素晴らしさ・・・
「死」とはとても自然な事・・・
死を明るく捉え、お年寄りをあたたかく見送る物語。

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2021年4月より全国の書店で
ご購入いただけます

万亀会で旅立たれた皆さまへの「結いけあ」物語

  • テーラーを経営されていてた K様

    終戦後、テーラーを経営しながら、妻を早くに亡くした為、二人の娘を一人で育てられました。
    手先が器用で、字が達筆で、歌が好きで、食べる事が大好き、いつも明るく、大きな笑顔の方でした。

    病気の影響もあり、娘さんとは、一時うまく関われない事もありました。
    膀胱に癌が発見され、ご本人様に告知の上、ご家族様も、今後の治療について、大変悩まれました。
    告知に関しても、医師と相談し悩まれ、ご本人の症状が強くなった時、不安にきちんと向き合い寄り添えるかを考え、告知することに決定されました。

    ご本人様に痛みや苦痛や、苦悩がなく、本人らしく、明るく、好きなことをして過ごさせてやりたいという思い、親しんで過ごしている環境が、ご本人様の精神状態にも良いだろうとの判断で、施設で最期まで支援させて頂く事になりました。

    お孫さんは、将棋がプロ級だったお爺様から習いたいと、面会に来られては、将棋を教えてもらい、ご本人様もお孫様と関われ、好きな将棋を教えてあげるのが楽しいようでした。
    「アンパン食べたい」「すき焼き食べたい」と話されるので、娘様はアンパンやおやつ、ジュースなどを買ってこられ、嬉しそうに召し上がるのを共に過ごされました。すき焼きは、家族様に柔らかいお肉を買って来て頂き、部屋つくりを居間用にして、家族団らんですき焼きをして、過ごされました。

    徐々に、トイレに一人で行けなくなり、横になる時間も増えていきました。その日の体調に合わせ、ご本人様の気分に合わせ、過ごされました。娘様たちも、小さかった頃のお父様との思い出や、以前はイライラしたことも、この頃には笑い話として職員にも話してくださり、お父様とのかかわり方も変わってこられました。食事も摂れなくなって来られましたが、ご本人様が食べる事が好きだった事、体に浮腫みも出ており、点滴はご本人様の負担になる事等から、点滴加療はせず、アンパンの餡を白湯に溶かしたり、ジュースが良いと言われ、ジュースを数口飲まれたりされました。目が開かなくなってきた時には、娘様家族が話しかけ、手を握り、職員と共に体を拭いたりして、寄り添われました。娘様家族が見守られる中、大きく息を吸われ、それが最後の呼吸となりました。

    最期には、ご自身が作られたスーツを娘様が大事に保管されており、着ていただきました。
    丁寧に作られた色褪せないスーツをみて、お父様の仕事ぶりも思い出し、「お父さん似合うね」と話しかけられ、それに応えられるかのようなお顔でした。

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  • 編み物が得意だった M様

    短歌が趣味で、編み物、裁縫が得意で、料理も上手であったと息子さんが話された通り、お元気な時には、ミシンで雑巾を縫ってくださったり、編み物をされたり、洗濯物を畳んだり、大根を切ったり、施設内でもしてくださいました。穏やかで、人に優しく、子供が好きで、目を細めてニッコリ笑われる方でした。

    徐々に胃腸が食べ物を消化できなくなり、誤嚥する事も増えていきました。元々が歯応えのある物、塩辛いものがお好きでしたので、食欲のない時にも、プリン等はあまり好まれず、えびせんや煎餅をお出しすると召し上がりました。カレーが好きで、レトルトカレーを家族さんから預かり、カレーを1口召し上がる日もありました。

    息子さんやお嫁さんがいらっしゃると、頷き、ニコッと笑顔を向けられていました。車いすで長時間起きている事も難しくなり、眠る時間も増えていきました。体調が良い時には、短時間ではありますが、リクライニング車椅子でみんなと過ごしたり、音楽を聴いたり、子供達との交流会に参加されました。

    肌が弱く、乾燥も強かったので、優しい香りのボディークリームを塗り、保湿に努めました。
    お部屋では、ラジオや環境音楽などをかけ、静かに過ごせるようにしました。
    ご家族とは、お元気だった頃、お若かった頃の話を伺い、ご本人の歴史を振り返りました。

    呼吸が弱くなり、ご家族が傍で見守られる中、静かに呼吸が止まりました。
    穏やかなお顔でした。

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  • 書道が好きだった N様

    Nさんは、傷痍軍人の夫を支え、姑の世話をし、子供を育てながら、たばこ店を経営していました。
    書道が好きで、子供に教えていた事もあり、施設でも、書道の際の集中力は高かったです。
    洋裁や編み物も得意で、子供さんの洋服は ほとんど作られていました。

    施設に入ってからも、タバコの売り上げが気になったり、子供のご飯が気になったりされていました。

    歩かれていたのが、徐々に歩く事が難しくなり、寝ている事が増え、食事量も減っていきました。
    3人の子供さんの中でも、病院で治療するのか、どうするのかで意見が分かれる事もあり、悩まれました。
    遠くで暮らしている娘さんが、施設に10日間ほど、24時間寝泊まりされ、ご本人と過ごされ、穏やかな顔をみて、ご本人が作りかけていた編み物を仕上げられました。その時間の中で、食べるのが好きな方であったので、少しでも食べられたら、口から食べて、状態によっては点滴をお願いし、施設で過ごすのが、ご本人にはいいだろうと、ご家族で結論を出されました。

    徐々に、プリンやゼリーが食べられる日も少なくなり、飲み物を少し飲めることが出来る日、果汁を絞って、口を湿らす日へと変わっていきました。

    ご家族も、職員と介助を共にされ、足や手のマッサージをされました。
    穏やかに眠られている時は、その寝顔を見つめて傍に寄り添われました。
    昔の写真をご家族と共に見ながら、話しかけ、思い出話を共に行い、振り返っていきました。

    呼吸が弱くなると、傍に付き添われたご家族が手をゆっくりさすり、最期まで見守られました。

    最期に、ご自身で作り、1度も袖を通していなかった着物をご家族と着付けしました。
    在りし日を偲ぶ、凛としたお姿で、ご家族からも「お母さんよく似合っているわ、若返ったみたい」と声がもれました。

    ご家族からは「ゆっくりと、母と過ごすことができ、穏やかな顔に安堵しました」と、お話がありました。

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  • 「良妻賢母」と娘さんから尊敬されていた Y様

    Yさんは、岡山出身で柔らかな岡山弁で話される、心の優しい方でした。
    娘さん2人を愛情深く育てられ、「良妻賢母である母を尊敬している。」と娘さんも話されていました。

    ご入居されてから1年程経ったころから、認知症の進行がみられ感情の起伏も激しく、職員を叩いたり、大きな声で何度も叫ばれ、時には娘さんを叩くこともありました。
    娘さんを叩いたり、きつい言葉で当たる時、職員が「娘さん、大丈夫です後は任せて下さい。」と言い、帰って頂いた事もあります。
    数日後、娘さんに「職員のみなさんも母にいつも叩かれているでしょ、本当にすみません」と言われましたが、「私たちはどんなにYさんに叩かれても、つねられても大丈夫です。Yさんはいつも、叩いた後『ごめんね』と言い、叩いた所を撫でて下さったりする、優しい方なので大好きなんです。」と、お伝えすると「そんな風に母を思って下さってうれしい。」とおっしゃって、娘さんも段々と、叩かれても悲しい顔をされる事が少なくなり、時には 上手くよける事もできていました。
    Yさんは、一日中機嫌が悪いわけではありませんでしたので、ご家族と電話でやり取りしながら、Yさんの気分の良い時に、一緒に過ごす時間を作れたらと、一番良いタイミングを作る工夫を行ないました。そうする事で、Yさんもご家族も嫌な思いをすることなく、一緒に過ごせる時間が、温かい、かけがえのない時間になるお手伝いが出来たのではないかと思っています。

    自然な老化で、いよいよお別れの時間が近くなると、娘さん2人が毎日交代でお泊まりになり、日中もほとんど一緒に過ごして下さっていました。職員も、よりこまめに訪室し、娘さんとYさんに聞こえるように話をし、笑ったり泣いたり、手を擦ったり、たくさんスキンシップをはかり、少しでも快適に過ごせるような関わりを探りました。
    娘さんと昔のYさんの得意料理等を聞いたりもしました。
    お風呂介助はYさんの体調に合わせて、娘さんも職員と一緒に入り、共にケアする時間を作りました。

    ご家族は、Yさんの事が大好き過ぎて、当初は、看取り期という事に対して、頭では理解しているつもりでも、心がついてきていない様子でしたが、娘さんとYさんを囲んで、ほぼ毎日色々な話をすることで、Yさんの最期を受け入れる心の準備が出来、最期は悲しい出来事ではなく、笑って話す事が出来ていました。

    最後の瞬間は、長女さんに見守られる中旅立たれました。
    丁度ユニットで会議を行なっていたので、Yさんに関わっていた職員や関係者も不思議なことに勢ぞろいで、Yさんはこのタイミングを選んで下さったのだと思いました。
    つくづく、人は亡くなる日や時間を選んで旅立たれるのだと実感しました。

    その後、四十九日が終わった頃に、娘さんに連絡を取りグリーフケアを行いました。職員3名でお宅に伺いお線香を上げさせて頂き、お元気な頃、お家でどのように過ごされていたのかなどをお聞きし、涙と笑いで、ひと時を過ごさせて頂きました。
    きっとYさんも空から笑って見てくれていたような気がしています。

    Yさんの看取りを通して、「後回しにすることなく、今、出来ることを全力でやろう。」
    「一期一会であり、その一瞬を大切にしよう」と言う事を学ばせていただきました。

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  • ベッドサイドでお茶会をしながら見送った I様

    個人名で出せないのが残念ですが、とても響きのよい素敵な名前のその方は、立ち居振る舞い、行動、全てが名前と同じで、愛らしく、温かい女性でした。

    施設開園当初にご入居されたその方(Iさんとさせて頂きます)は、アルツハイマー型認知症が進行し、当初車いす使用で、意思疎通も難しいという申し送り…
    だけど月日を共に過ごすうちに、職員の中から「Iさんは立ち上がりたいんと違う?」という言葉がスタートで、「歩きたいんと違う?」「横で支えたら歩けるんと違う?」そしてあれよあれよという間に、介助なしで歩ける様になり、各部屋のカーテンを開ける事がIさんの日課となる程でした。
    もちろん危険もあります。何度も転びました。だけど、歩いているIさんの姿は、ニコニコと楽しそうで、職員は「この笑顔を守りたい。」その一心で、「転倒防止」から、「上手にこける」に視点を変更し、パンツをクッション入りに変更したり、Iさんの座るソファーには滑り落ちても大丈夫なクッションを常備したり…行動パターンを予測し、危険回避をしたりと、試行錯誤を繰り返しました。
    そうする事で、沢山のかけがえのない思い出が生まれ、忘れられない時間を共に過ごしました。

    けれども、入居後約5年が経過し、年齢の経過とともに、自然な老化が進み、食事を摂る事が少しずつ難しくなり、ある年の9月末誤嚥性肺炎で入院する事になってしまいました。入院先の医師からは、「今後、経口摂取は難しい」と言われ、辛く、厳しい現実を突き付けられ、ご家族も、我々も答えのない答え合わせに自問自答を繰り返すばかり…。ご家族も迷い、苦しんだと思うのですが、「最期は千鶴園で。どこでもない、ここでしかない。」と施設に戻ってくる事を選択して下さいました。10月末の事です。
    沢山ある選択肢の中から、施設での最期を選んで下さったIさん。その思いにどれだけ応える事ができるのか… 新たな挑戦の始まりです。

    酸素吸入は常に1ℓ、食べる事は難しい。
    口から食べなくなると、口腔ケアがとっても大切になります。
    しかし、市販の口腔ケアジェルでは乾燥を防ぎきれない。そんな時、使っていたのが、「マヌカハニー」抗菌作用があり、インフルエンザにも効果があるとかないとか…
    マヌカハニーに少しだけ酢をまぜて、美味しいジェルを手作りして、口腔ケアを何度も行なう事で、いつも口の中が綺麗でした。
     すると、口や顎の動きが活発になり、「わあ、Iさん味わってるわ!味がわかってるのやね」そして、ご家族と他に味わえるものを相談しました。
    大好きだったあんこを湯で溶かして味わって頂いたり、チョコレートやアイスクリームをほんの少し、口をうるおす程度で楽しんで頂いたりもしました。

    施設には、寝たまま入れるお風呂があります。日中いる職員間で相談し、「今日何時なら応援いけるで!」「看護師も一緒に入るわ。」 ご家族にも声をかけると、「一緒に入ります!」と二つ返事。
    あれよあれよという間に人が集まり、皆でわいわい言いながら、一緒にお風呂介助も行いました。
    ベッドサイドで髪を切ったり、髪留めで飾ったり。お部屋も季節に合わせてご家族さんがしつらえてくださり、毎日お部屋に入る事が楽しみでした。
    楽しい時間が長く続き、このままずっとこうしていられるのではないか…なんて思える程に、穏やかで、苦痛なく、貴重な日々が続きました。

    だけど、いよいよお別れの日です…12月中旬でした。
    朝から下顎呼吸が始まっていました。「そろそろです…」と娘さんに説明しました。その状態が夕方まで続き、申し合わせたわけではないのに、仕事終わりの職員が一人ずつ自然にIさんの居室に集まって、ご家族も一緒にお菓子なんか持ち寄って、Iさんのベッドをぐるりと囲み、お茶会のスタートです。
    その夜は、遅くまでいろんな事を語り合いました。楽しすぎる時間。そろそろお開きに…と笑顔でお別れしたそのすぐ後、Iさんは大好きなご主人の元に旅立たれました。

    Iさんの事は、いつまでも忘れません。きっと我々がそちらの世界に行く時は、お花畑まで迎えに来てくれる様な気がしています。また会えます。必ず。なんなら、お花畑で待ち合わせです。
    看取りを経験する度に、辛いけど、やっぱり「ありがとう」で心が満タンになる。
    仕事を超えた、人間としての「ありがとう、心からの感謝…」
    食べてくれてありがとう、笑ってくれてありがとう、ただそこにいてくれてありがとう。

    そんな人生の仕上げ方、これからも悩んで、迷いながら、一日を丁寧に重ねていきたい千鶴園です。

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  • 歌が大好きだった F様

    Fさんは歌うことが大好きで、お風呂の中でもよく歌っていらっしゃいました。最期の時が近づくにつれ、だんだんと歌うこともできなくなってしまいましたが、ご家族が会いに来てくれた時にはにこにこと笑顔で嬉しそうに過ごしていました。

    娘さん、息子さんとFさんの最期について話し合いを進めていましたが、娘さんは「無理な医療は望まない」息子さんは「できる医療は希望する」という意向で、意見が一致していませんでした。

    Fさんは96才でした。
    娘さんは「その時期だから食べられない」事をご存知でした。
    息子さんは「食べないから弱ってしまった」「何とか食べさせられないか」とおっしゃってました。娘さんと息子さんは、何度話をしても、平行線のままでした。

    口にできるものもほとんどなくなっていましたが、ご家族が持ってきてくださったすいかの果汁とヤクルトは「娘さんが持って来てくれた」「息子さんが準備してくれた」と言うと、「ほな、飲もうか」と最期まで喜んで口にされていました。

    Fさんが衰弱し始め食事が摂れなくなった時、このままでは、医療を望んでいる息子さんには悔いが残ると判断し、医師に指示をもらい、Fさんご本人に相談し、許可をもらって、一日一本の点滴を開始しました。(その姿で、息子さんはかなり安心されていました。)

    出来る限り、無理な医療をすることなく衰弱していき、最期はご家族に見守られながら穏やかに枯れるように旅立たれました。
    開設当初の看取りです。自然に旅立つということはこういうものだと教えてくださり、また、ご家族と何度も何度も話し合うことがどれだけ大切なのかを気づかせていただきました。

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  • 亡くなるタイミングを計ったO様

    Oさんの主な介護者はご主人で、妻が大切で1日でも長く生きてほしいとの思いが強い方でした。認知症の悪化が認められ食事が入らなくなっても、ご主人は「認知症で死ぬことは考えられない」と胃腸疾患を疑っており、胃ろうも視野に入れた治療を望まれていました。

    ご主人の想いを尊重し、総合病院の外来受診。医師からの説明を受けたご主人は、納得して点滴を開始しました。外来受診時には4日後に検査の予約もしてきましたが、検査当日になり呼吸異常が見られたため、ご主人は「本人の残り少ないエネルギーを消費したくない」というお気持ちになり、予定していた検査や胃ろうも思いとどまりました。

    サービス担当者会議では「ご自宅に連れて帰りたい」との意見も上がり、調整を続けていました。数日後には職員協力により自宅へ一時帰宅をすることが出来ました。
    病状は安定して、しっかりと覚醒されており、外の様子をしっかり大きな目を開けて見ていました。ご自宅ではキッチンの様子も確認して、お孫さんの用意してくれたイチゴを2口食べ、「美味しかった」とお話しされていました。家族写真も撮影し、ご本人はピースサインを作り喜んでおられました。

    施設に戻ってからは、ご主人が声をかけて下さったようで、昔の知人などが多く来られてました。Oさんは少しずつ眠る時間が長くなっていました。
    お孫さんは、ベッドサイドで尺八を吹いて下さっていました。
    代わるがわる、たくさんの方が来て下さっていました。

    小学校の校長先生をしていた息子さんは、3月忙しい時期でした。
    近隣の幼稚園の卒園式、小学校の卒業式、異動に伴うもろもろの仕事、そして4月小学校の入学式、近隣の幼稚園の入園式に参加されたその後、それを待っていたかのように、Oさんは穏やかに息を引き取りました。

    「どの人も、自分の亡くなるタイミングを自分で計っている」
    本当にその通りだと実感した経験でした。

    お一人になったご主人が心配で、四十九を待ってご自宅に訪問しお線香を上げさせていただきました。
    ご本人の遺影を見て、「不思議なんや、この人(遺影)どこへ行っても自分の方を見てるんや!見張られてるみたいや・・・」と冗談を言い、笑顔で安心しました。

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  • 遠方の家族を待って旅立ったT様

    Tさんは97才の女性でした。
    はっきりものを言う、しっかり者のTさんは、おしゃべりが好きで「ねぇちゃん」と職員を呼んでは、色々お話をされる方でした。
    近くに住む息子さんは、ご本人のリクエストにもすぐに対応してくださり、「たこ」「サイダー」「おでん」など、頻回に差し入れを持って来て下さっていました。

    入居時は、食事がとれず、看取り期との認識で、最期をどのように整える事がよいのか、ご家族、他職種で相談し、看取りのケアプランを作成していたのですが、無理をせず、ご本人のタイミングに合わせたケアを心がけるうちに、好きな物はたくさん食べる事ができ、次第に元気を取り戻しました。 若い頃は、たくさんの苦労を重ね、辛抱の毎日だったとの事でしたが、入居後は大好きな息子さんや、娘さん、お孫さんに大切にされ、遠方のご家族やお孫さんとは、携帯電話のラインやタブレットを使用して、動画を送ったりしながら、交流される毎日でした。
    散歩に出ては、草花を持ちかえり、「やるわ。」と他ご利用者や職員にプレゼントしてくれたり、寝たり起きたりも自由気ままで、夜の方が、ゆっくり話が出来るからか、夜は休まず身の上話を延々と話される事も多かったです。

    このまま100歳まで…と誰もが信じていたのですが、特別体調を崩されたわけでもなく、
    自然に、ゆっくりと休む時間が長くなり、食事量が少なくなり、穏やかに過ごされる時間が長くなってきました。
    年齢的にもそろそろ…と、ご家族ともお話しをしていました。
    食事は、量が減りましたが、プリンや焼き芋、氷などを少しだけ召し上がっていました。
    睡眠は、二日寝て、一日起きて…の感じ。
    通常車いす介助の方だったのですが、夜間目が覚めた時は、ベットから這って出てくる程のお元気もありました。
    そんな状態が3~4か月続き、その間ご本人が望む事、我々に出来る事をスタッフで話合い、「お元気な時は散歩が好きだったから、気候のいい日は車椅子で散歩へ出よう!」と、いざ行こうとすると、「しんどいからやめとくわ。」
    「好きだったものを食べてもらおう!」と準備しても召し上がらなかったり。
    「大好きなお風呂に入って心地よく過ごしてもらおう」と準備しても、「汗かいてないからええわ。」と断られました。
    ことごとくマイペースで、我々としては何もしてさしあげられない様な気がしていたのですが、看取り期は、何か特別な事をしなくても、ただ一瞬一瞬が苦痛なく、心地よく、ふわふわとした温かさに包まれたような時間を提供する事が大切であると、意識してケアに当たりました。
    実は、かなり頻回にコールや声で職員を呼ばれていたのですが、そのマイペースさに最後までつきあおう!と決めました。
    基本的な事になりますが、「一日一日を丁寧に過ごす」それが今、我々にできるTさんへの看取り期のプランになりました。

    今まで何度声掛けしても「しんどいからええわ」と拒否されていた入浴でしたが、お亡くなりになる前日は、「風呂入っとこか。」と言って下さり、寝たまま入るお風呂でさっぱりされました。その頃には、循環障害がみられ、手足の色が暗紫色に変色し、少し痛みも伴っていたのですが、お風呂で温まると、血色も良くなり、痛みも取れていました。
    お風呂に入った翌日、準備が整ったと言わんばかりに朝から肩呼吸が始まりました。
    大好きな息子さんが傍で付き添われ、頬を寄せ合いながら「ありがとうな」「よう頑張った」と声をかけられていました。
    昼には、遠方に住む娘さん、もう一人の息子さん夫婦も到着され、まるで皆の到着を待っていたかのように、その後すぐに、ご主人の元に旅立たれました。
    数か月かけてゆっくり準備を整え、会いたい人に会って、最後までご自身のペースを貫かれたTさん。
    そんなTさんの死後の処置の際には、若いスタッフが「エンゼルケアに入らせて下さい。」と、自分のユニットではないのに、集まってきて、にぎやかなエンゼルケアが行われました。
    ご葬儀が終わってから、焼香に伺わせて頂いたのですが、遺影の写真には、施設で行った行事の写真を使用して下さっていました。Tさんの事を思い出すと、寂しくて涙が出るけど、「こんなことあったよね。」、「あの時こんなだったよね。」と話題にする度、やっぱり大笑いする思い出ばかりです。

    マザーテレサの言葉に、「私たちは、おおきい事はできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。」と言う言葉があります。
    Tさんの看取りでも、特別な事や大がかりな事はしていませんが、毎日、心を込めてケアをすることができました。それが、とても大切なことであったと再確認させて頂けた看取りでした。Tさんに、心から感謝です。

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